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『森村泰昌 自画像の美術史「私」と「わたし」が出会うとき』私的感想

 

こんにちは

 

気がつけばまた時間が空いた更新となってました。

 

自分の考えを文字にしてもとめることや、

みたものを思い出し、再考するためにもブログを書こうと思います。

ささっと感想です・・。

 

国立国際で開催している

森村泰昌 自画像の美術史「私」と「わたし」が出会うとき』

をみてきました。

展覧会場は撮影OKとのことで、何個か写真を載せます。

 

森村さんといえば、関西を中心に活動されていますよね。

美術史上で有名な絵画に自ら扮し再現し、それを撮影した写真作品が、

彼の代表的な表現方法として、注目されていますよね。

 

この展覧会は、約1時間ある映像作品も公開しており、

わたしは先にそれをみてから、他作品をみました。

(美術館に行く前に、映像の公開時間のチェックをおすすめします!)

 

 

 

作家と作品の関係性、

 

作家は死ぬけれども作品は生き続ける。

 

生き続ける作品の中の作家は、生き続けるのか・・???

 

森村さんが他の作家になりきったセルフポートレートは、

自分自身のセルフポートレートなのか?

 

自らの手で描いていない作品

自分が素材の一つとなる作品。

 

 

ーー

 

 

自分がなりきる作品の選定の基準がどうなのか、

今考えています。

 

なんだか、

別にいいんですが、

作品をみてる途中から、美術だけど、技術?発表を

みているような感覚にもなりました。

こうなると、ちょっとしたセットの雑な部分とかが

気になってくる・・。

 

 

作品を忠実に再現しているだけでなく、

海外のお金が、森村さんの再現では日本円になっている・・といった

変更点もあるのですが・・。

 

 

森村さんの表現の新たな試み?ももっとあってもいいのではないかと

思いました。

(わたしが気付けてないだけなのか・・。)

 

 【展示風景写真】

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ささっとした感想ですが、

とりあえずアップ!

 

 

小山登美夫の本三昧 感想

 

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『"お金から見る現代アート

表紙からしてもですが、読みやすいようなつくりになってます。一章タイトルが「なぜ村上フィギュアが16億円になったのか」ですからね!

ギャラリーは、アートとお金の流れの一つとして描かれていて、アートとお金に関わる様々な立場の人(アーティスト、ギャラリスト、コレクター)がでてきました。

また、所々で世界と日本のアートにお金を出すことに関する違いにも触れられていて、小山さんならではでおもしろかったです。(日本では、一つの物を代々受け継ぐべきという感覚があるため、アート作品を買ったとしても、次に回っていかない等々・・)

 

現代アートビジネス』

小山さんの生い立ちから、ギャラリー立ち上げ、海外のアートフェアへの進出のこと

アート作品を買うこと、マーケットがつくられることについて描かれています。

 

奈良さんや村上(隆)さんの作品 って、サブカルのイラストのイメージがありますよね。

私も少しそうですが、それがアートなのか?イラストであり商品なのでは?

といった抵抗感が多少あるような気はします。

ですが、キャラクターのようなモチーフだから商業的とかイラストというのではなく、

多くあるうちの表現方法の中から選んだのが、そうしたキャラクター的に見えるものだっただけに過ぎないんだと改めて考えさせられました・・(うまく言葉にならないけれども)。

 

 

『小山登美夫のなにもしないプロデュース術』

他2冊よりも、小山さんの作家の選び方とか、作家の付き合い方が

細かくかいてあった。

 

個人的に、おもしろかったのは、ギャラリーに作品展示する時に、どういうことを意識するかという点が挙げられていたところ。

 

でも、もっとほんっとに細かく、その作家を選んだ理由を、作品のどんなとこからかというのを、細かく語ってほしかった!めっちゃおもしろそう。逆に、どんな作品はダメと思うのかとか、それは何作品くらい見た時に思うのかとか・・。(最初ダメと思ったけど、だんだん良くなっていった作家といかいるのかとかとか)

 

最近キュレーターの南條さんの本を読んでたからか、ギャラリストがキュレーターと違うと思ったのは、展覧会コンセプト先行ではなく、その作品・作家をみせることをより重要視している所だなあと。

 

南條さんは、企画する展覧会が美術史上で、どんな意味をもつのかをとても考えている。小山さんは、作家のある作品が、美術史上でどんな意味をもつのか、オリジナリティを持つのかとても考えてるいるように読み取れた。

 

それぞれ方法は違えど、今までの歴史をよみとった上で挑戦的な試みを行っていっているんだなと、ほんとに尊敬する・・。

 

 

まだまだ視野が狭いので、じっくりじわじわ世界を広げていきたい!!

 

『美術館をめぐる対話』感想

こんにちわ

 

最近読み終えた

西沢立衛(にしざわりゅうえ)さんの

『美術館をめぐる対話』の感想です。

 

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 私は以前、収蔵作品を持たないアートセンターとよばれる施設について研究していた時期もあり、こうした美術館の変化や作品との関係についての話はとても興味があります。

 

 この本では、西沢さんと、美術館に関わる建築家、アーティスト、作家、キュレーター等様々な人の対話が掲載されています。

 

 

☆・・・☆・・・☆

 西沢さんといえば、妹島さんと設立したSANAA

設計した金沢21世紀美術館が有名ですよね。

 

 本の中で、ご本人は美術館の建築家としてはそんなに多くを設計していないと何度も言われています。でも、そういった人のアイディアが、2000年以降の美術館に求められていたということだと想いました。

 

☆・・・☆・・・☆・・・☆

特に印象に残った部分について

・三章(南條史生さんとの対話)

 十和田市現代美術館(行きたい←)や奈義町現代美術館のような

常設展(パブリックアート?)メインに建設された美術館について。

 ハコ→色んなモノ(作品)よいうより、

 モノ&ハコというように、

特定の作品をメインにしているような美術館がありますよね。

 

 これみていて、伊藤寿朗さんの『市民の中の美術館』(1993)の「博物館の3つの世代」を思い出しました。

 

 ・第一世代・・・「国宝や天然記念物など、希少価値をもつ資料(宝物)を中心に、

  その保存を運営の軸とする古典的博物館」。つまり作品先行です。

  おそらく、観光地などにある○○○像みたいなのがある博物館みたいなとこかなと。

 ・第二世代・・・「資料の価値が多様化するとともに、その資料の公開を運営の軸と

  する現在の多くの博物館」。

  文化施設建設ブームで建てられた多くの美術館ですね。 

  常設展は行われているものの、企画展で人を呼ぶことが多い所だと想います。

 ・第三世代・・・「社会の要請にもとづいて、必要な資料を発見し、あるいは

  つくりあげていくもので、市民の参加・体験を運営の軸とする将来の博物館」

  これが、市民参加が不可欠で、収蔵作品をもたないアートセンターでは

  ないかなーと考えています。

 

 上記の論理は、20年ほど前のもので、しかも美術館ではなく博物館のことなので、

まあはっきりあてはめられるかはわかりませんが。

※博物館は、美術館、歴史博物館、水族館、等々すべてを含んでいる。

 

 

で!

私が言いたかったのは、

2000年以降、第三世代の博物館(美術館)が増えていると思っていたら、

2010年以降?(まあ、奈義町は1994と早いですが)、第一世代の博物館に回帰してるのでは??ということです。

 

 p.119で南條さんは、ハコをふやすというよりも、作品があって、それを守るためにハコでおおったという見方もある。

という風に発言しています。

つまり、ハコをつくっておいて、何でも対応できる!!その企画展ごとに客を呼ぶ!!というよりも、作品があって、そのためにハコをつくる。そこにしかないから、その貴重さで人を呼ぶ!(?)というモノ先行の美術館なんですよね。

 

 でも、「そこにしかない」というのは、言い方を変えると「それしかない」

ということでもあるため、集客の面では難しいこともあります。

 ですが、本当に価値あるものであれば、注目は続く・・と思いたいですねえ・・。

 

 

 

☆・・・☆・・・☆・・・☆

・五章での、妹島さんとの対話

 

 ここで、「公共・パブリック」とはという話が出ました。

 そこで、西沢さんの、アメリカ人はパブリックという概念を、「自分のもの」、「自分が使えるもの」という理解をしているとの発言。 

 これは、なんかハッとしました。

 

 公共・パブリックっていうと、日本だとすぐ「税金」のイメージがあるんですよね・・。で、文句言う人は、「私が払った税金なのに、こんな美術館いらない!!」とか言いますよね。ですが、その逆で、「私はこの美術館や企画で、こんないい経験してるから、いる!!」みたいな発言ってあまり聞かないですよね。そんなことを言うと、自己中心的みたいな風潮があるような・・。

 この章で、西沢さんが最後に「公共とか集団というのは、考えてみれば、帰属するひとりひとりの主体性や個性、独創性が重要」との発言がありました。公共というぼんやりとしたものを恐るよりも、自分や周囲の人という個人個人が、公共の一部であることを認識したいと本当に想いました。

 

☆・・・☆・・・☆・・・☆・・・☆・・・☆

 ざっとした感想になってしまいました。

 この本は新書ですし、対話形式でもあるため、明確な歴史とかが載っているわけではありません。

 私は、この本を読んで、建築が環境やその時の周囲の状況という公共を意識して練られていることや、その地に残り続ける作品、美術館は、常に変わり続ける余地や柔軟性をもってきていると考えるようになりました。

なんか曖昧ですが、とりあえず感想おわりです!

 

 

 

青森いきたい!!!

  

 

 

 

 

 

ざざっと本感想 『現代アートの経済学』

こんにちわ

 

図書館でちょっと気になって読んでた本、

読み終わったので、返す前にわすれないためにも少しメモ。

 

(情報の不確かさ、感想の稚拙さはご勘弁を)

 

アートコレクターの宮津大輔氏によって書かれ、

2014年6月に発行されたこの本(光文社新書)。

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アート系の本は、何冊か読んできてますが、

コレクター目線のものはおそらく読んだことないような・・。

 

コレクターといえば、映画にもなったハーブ&ドロシーが有名ですが、

日本でぱっと名前出てくる人っているだろうか・・。

私は、昔関わった展覧会で、関西で有名なとあるアートコレクターの方に

お話を伺ったことがあるのですが、

結構前で記憶が曖昧・・(頑張れよ)

 

ーー

そんな事前知識の中で、読み進めました!

※ほんっとうに個人的な感想ですのでご了承ください。

ーー

 

アート作品の過去の落札額に関する価格データや比較は、

ほんとにすごくしっかりされてました!

 

ふせんつけたとこ

「一過性のブームに踊らされることなく、その地域で開催される必要性を有していることや、安定的な財源の確保が国際展成否の鍵を握っています〜」(p.95)

これは、最近よく当たる問題で、

こういうことが書かれた記事をネットTAMでも最近読んでたからか目にとまりました。

 

 

もういっこ

とある会社社長の発言

「新世代のコレクターは時代の流れに敏感で、独自の視点に基づいたコレクションを形成している。彼らは伝統的な文化を継承する者であると同時に、新しい価値を創造する者でもある」(p.165)

 

コレクターが、芸術作品を収集することが、文化を継承し、次の価値を創り出すっていう考え方はあまりしたことなかったので、はっとしました。

作品を買うことは、ただ自分の手元に置いておきたいということだけではなくて、

作品に価値を認め、次世代につなげていくという意味もあるのかなーなんて

思いました。買うというのは、一つの流れを創り出すことだなーと。

 

 

本は全体的に、私の知識不足で知らない地名・人名・施設名が

たくさん出てきて、イメージがわきにくことが多くて、

ほんとに勉強不足を痛感しました・・。

 

作品の形態が、どこでも持ち歩けるもの主流だったのが、

その場でしかみられ(体験)できないものが増えてきた。

その中で、コレクターの存在はどうなるのだろうか・・。

 

地域のアートプロジェクトは、今は本当に各地で行なわれているし、

イベント性があって、人を呼びやすい。

 

ーー(話がずれます)

でも、あと10年したら、行政はお金を出してくれるだろうか。

打ち切りになるといった時に、

一回来た人が倍以上のお金を出してくれるだろうか。

体験型のアート作品は、たしかに”楽しい”。

ぱっと「きれい」って思えたり、探検してるような気分になったり・・。

 

でも、その一瞬の楽しさを得た人は、

本気でその作品や、アート活動がずっと続いてほしいって

思っただろうか。。。

 

地域のアートプロジェクトの開催場所で、

どんどん拠点施設ができていっている。

古民家や空き家、空き店舗の活用。

ハコに収まらないイベントが、ハコに収まっていく。

・・でも、そこにしかない「ハコ」の中の作品は、

     それだけしかない「ハコ」になってしまわないだろうか。。。

 

 

 

結局本の感想というより、最近の抽象的な意見になってしまった。

 

 

マグリット展 感想めちゃくちゃメモ

こんにちわ

 

連休中にいってきましたー。

マグリット 』展

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人やべえ!!!って思ったら、同時開催の

ルーブル美術館展でした!

 

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マグリット展は30分ほど並んで入れました!!

 

でも、普段美術館は空いてる曜日に行くことが多いので、

並んで入ること自体初めてでした。

 

.。*゚+.*.。 .。*゚+.*.。 .。*゚+.*.。 .。*゚+.*.。 

 

展示は、年代順に並んでましたー。(たぶん)

 

初期1920年頃の作品は、結構原色をはっきり使っることや、

ちょっとキャラクターぽい丸みのある人物が描かれてることがあって、

マグリットのイメージと違ってびっくりでした。

 

 

ですが、徐々にマグリットらしい、手書き感のない、

不思議な空間に、違和感のある配置の物が描かれた作品が増えてきます。

 

よく描かれるモチーフとして、

 

・空

・一つの面が無い部屋

・帽子をかぶった紳士

・鈴

・葉っぱ

・波

・柱

 

それぞれが、曖昧な境界で他の物質に変わっていったり、

切り取られた人や者のシルエットにきれいに描かれている。

 

同じモチーフが、他の作品に結構出てくるんですよね。

それぞれのもつ意味合いをもっと考えたいなあ・・。

 

ーー

戦中後の一時の画風の変化にはびっくりしました。

モネを思い出させるような、

カラフルな毛糸で描かれているような絵。

しかも、かわいいクマのキャラが描かれてるものも。

 

急いで描いた作品っていう風に説明がありましたが、

上手い・・これはこれで有り←

 

 

 

そんなほのぼのかと思えば、人が人を食べてる絵もあって、

マグリットの画風も戦争に大きく影響をうけました・・

 

と思ってたら、また、元のあのきれーいで

きみょーな絵に戻るんですよね。

 

 

ーー

私が今回結構気に入ったのが、

〈傑作あるいは地平線の神秘〉

Les Chef D'Œuvre   Ou Les Mystères de L'horizon

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「人はそれぞれに月をもっている」

という考えが、結構気に入って帰った後も頭に残っていました。 

 物質としての月は一つだけれども、

人によって、月への認識は違う。

でも、その認識の中でも共通の部分があることで

人と話す時等に「月」が一応成立している。

 

これって、身の回りの物や人にもいえますよね。

同じ人に対して、その人は一人だけれども、

人によってその人が「性格わるいー」とか「優しい人」といった認識・思いって違いますよね!

そうすると、自分を知ってる人の数ほど、自分が存在する・・(゚~゚o)ウゥーン

 

 

ーー

前から好きだった

〈人間の条件〉 

la condition humain

 

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まず、このタイトル・・!

(まあ、マグリットはタイトルがぶっとんで意味不明なの多いけど笑)

風景が描かれてる絵、その後ろの風景と同化している。

でも、それ全体が一枚の絵・・。

カーテンでかくれるはずの部分まで描かれている・・。

もうこの窓?自体絵なのではないかと思ってしまう・。

 

ー ー

後でまた色々思い出すかも・・。

〈不許複製〉

みたかったけどなかった;;

 

 

あと、マグリットは、言葉と絵と実物の境界の曖昧さ

どれが本物や?っていうことも考えさせる作品が多いのも

おもろいですねー。

 

 

マグリットの作品は、ほんとにキレーイに塗られてて、

近くでみてもほんっときれいすぎて、、。

まあ広告デザインとかやってた名残もあるのかな?

 

 

全然感想まとまんないやー。

 

また思い出したら書き足そう><   では。

 

〜(^^)映画『バケモノの子』感想(^^)〜

こんにちわ

 

※超ネタバレなので、ご注意を※

 

バケモノの子

 

細田監督は、

民族性や、マイノリティ、マジョリティの問題に関心があるのかなあ。

 

パッと見てわかる国籍の違いだけでなく、

町中でわからないような

例えばLGBTであったり、在日の何世の方など・・。

 

☆キュータ

 

主人公である キュータは、

物心ついた後に異国で暮らすことを選択。

師匠となるをみつけ、異国で違う名をもらう。

親としての存在は、違う人種。片親。

↓ ↓

最後には、元の人間界で暮らす(ここで分かるのが、人間界でも片親というとこ)

バケモノとの同化

(葵ちゃんと◯◯してる時もみてるのかなあって心配したの私だけですか?)

 

☆一郎彦

 

自分は人間だと知らされてはいないが、周りと違うことに違和感をもっていた。

人間であることを、隠さずに2世界行き来して暮らすキュータに苛立つ。

親は、一郎彦が人間であることを言わなかった。

自分なりに、バケモノに劣らない強さを身につけていった。

 

人間であることがわかっても、

バケモノ界で生きていく(周りの者も受け入れる)

 

 

この対比が相当意図的だろ←

てか、まずさー「バケモノ」っていうあまり聞こえ良くないような

言葉をタイトルにしてるのが

どういう意味だ??って気になるよ。

 

ー_ ー

 

あと、良いと思ったのが、

親→子 教える

という一歩通行でないところ。

 

「師匠」「弟子」というのが、

場面・物事によって違っている。

剣の腕や力の強さは、熊鉄の方が師ですが、

相手の動きを読むよいう点では、キュータの方が師。

 

力づくのケンカではキュータが師ですが、

勉強の面では葵ちゃんが師。

 

これを見てて

内田樹氏の『先生はえらい』(2005)を思い出しましたね。

自分がその人を師と思い学び取る力も大切。(読み返そうかな)

 

 

^_^

 

 

見た時に疑問に思った所として、

なんで、一郎彦は、落とされた本の内容の「くじら」になったのか??

ということ。

 

読んだことのない本だったので、

あらすじ検索をしました(読めよ)

 

ハーマン・メルヴィル『白鯨』という、

1851年発表という結構前の小説ですね。

映画化されてるらしいです、全然知らなかった()

 

捕鯨船の船長が、白鯨に片足を食いちぎられ、

悪の対象として白鯨への復讐心で燃える。

船には様々な人種が船員がおり、

船長の復讐心の影響され、白鯨と報復を誓うそうです。

最終的には、鯨も船長も船員もほとんどがなくなってしまうそうです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%AF%A8wiki/20150725)

 

そう!ここでも!多民族ですよ。

オシャレにいうと、サラダボウル←

 

一郎彦が、鯨となったのは、

周りからそういった標的とされていることの例えなのでしょうか・・?

うーん、、。都会の地面=海底???

 

_ー_

 

 

正直、バケモノ界の人間に芽生える「心の闇」というブラックホールは、

あからさまな表現すぎないだろうかと思いました・・。

犬夜叉の風穴を思い出しましたよ。。)

 

 

 

- - - た- わ - ご - と -

 

目覚めた一郎彦がイケメンすぎたよね。

 

大泉洋がただの大泉洋だった。

 

☆.。.:*・゚ ☆.。.:*・゚ ☆.。.:*・゚ ☆.。.:*・゚ ☆.。.:*・゚ ☆.。.:*・゚

 

なんか、観る前にちょっとボロクソの評価みてたから、どうかなと思ってたけど、

個人的には結構すきかなー。もう少しシンプルでいい気もするけどね(頭おいつかないから)。

 

 

一緒に見に行った人と連絡とれないお(^q^)

 

 

 

はじめまして!

 

はじめまして。

 

未熟者ですが、

いろんなものの感想を書いていこうと思います。

 

よろしければ、お願いいたします。