あーとブログ

主に関東圏の美術展を見に行きます!

知識少ない自分なりに楽しんで見て書きたいと思います

『モネ それからの100年』展 感想 MONET

 

横浜美術館行ってきました!

 

話題のモネ展

 

横浜美術館の展示をみていると、ちゃんと展示考えてるんだなと

感じて嬉しくなります(誰目線)。

 

タイトルだけみてると、

「よくあるモネの作品数点と、同じ時代の作品が混ぜてあるやつかー」って

思うでしょう?違うんですよね。

 

ただ「あのモネ」っていう知名度だけで攻めてる展示じゃないんです。

 

モネの作品は25点で、

なんと他の作家は26人で66点!

 

しかも、現代アーティストもかなりの割合入っています。

 

このモネ展は、モネに影響を受けた作家、

モネに影響を受けているようにみえる作家を集めて展示しています。

 

しかも、絵画のみでなく、版画やアニメーションなどもあります。

モネという一つの点が共通項にあるだけで、作家の年代・表現形態は関係ないのがおもしろいところ!

 

 

ただモネの作品見に来た人が、

現代アートにはまるきっかけになるかも!

 

モネの特徴を、現代アートの作品と比べることで再認識することも可能です。

 

 

さらに面白かったのが、

「コレクション展」

つまり横浜美術館が持っている(収蔵している)作品での展示。

モネの活躍した時代の日本の作品などが展示してあったんですが、
日本はその頃明治時代。

高橋由一が、海外で使用されていた油絵を日本で使用したように、

海外の美術の影響を大きく受けるようになった時代です。

ほんとに同じ時代でこんなに描くもの違うのかっていう発見がありました。

 

ちょっと後半になると、白髪一雄の作品も。
天井から吊るした縄に捕まって、足で絵を描いたことで有名ですよね。
そのストロークと、モネの筆触なんて比べようと思ったことなかった!笑

 

森村安泰昌さんの11年ぶり公開の4連作品《神とのたわむれ》(1991)は、

原画《キリストの磔刑》(1503)の縦140cmの面積6倍(つまり縦は何倍なんだろ←)

 ってことで、迫力あって、磔刑されてるのが人形におきかえられてるものなどで、

奇妙な空間が目の前に広がって(4面だから)不気味だった……。

 

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ちなみに

筆触分割とは?
昔何かの本で読んだのだけども・・・。

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【感想】上野スタディーズ2018 第1回「芸術実践と人間の権利-アートの現場における〈対話〉と〈合意〉について考える」

暑いけどどうにか行ってきたトークイベント!

面白かったー

 

2018/7/29

上野スタディーズ2018 第1回「芸術実践と人間の権利-アートの現場における〈対話〉と〈合意〉について考える」

 

@黒田記念館1Fセミナー室

 

・第1部レクチャー(講師:山田創平)

・第2部ラウンドテーブル(ゲスト:岡部友彦、和田昌宏、山田創平/モデレーター:住友文彦)

 

 

山田創平さんのレクチャー

 論点として、差別的表現(ヘイトスピーチ等)が行われることで、それを受けた人が精神的苦痛をうけ自殺してしまうなどの犯罪(ヘイトクライム)が挙げられた。有名な事例として、同性愛者であることを理由に21歳の若さで殺害されたマシュー・シェパード、同性愛者が「異常動物」をtwitterでつぶやいた鶴指眞澄川崎市議等がある。

 さらに、関西の京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA(アクア)で、作品の一環でデリヘル嬢を呼ぶという計画が持ち上がったことが物議を醸し出したことは記憶に新しい。詳細にコンセプトがつめられていたわけでも、デリヘル嬢の人権について考えていたわけでもないという。実現には至らなかったもの、アート作品により軽率に一人の人権が侵害される危険性が十分にあった。

 山田さんは「人を殺す表現 – 表現の自由はあるのか? 」という問いをたて、「人命は、表現の自由より大事なのではないか」と意見を述べていた。

 

 でもまず前提として「マイノリティとは誰なのか? 」

 近代日本では、国民国家で資本主義であり、労働者が働き、その利益の多くを資本家が搾取している。妻は家で無賃労働を行い、子供は新たな労働力予備軍という位置づけとなっている。つまり、異性愛により子供が生まれるということが、暗黙の前提となっている。

 現在は、新自由主義が主流となってきており、公的機関の民営化や規制緩和が行われ、政府は市場での自由競争を推し進めている。民間に委ねられる範囲が増えたことにより、今まで経済的に困窮していた人も、お金を儲け、マイノリティから脱却することが機会が得られた。一方で、それは別のマイノリティを生むことになった。

 

※上記は、山田さんの話を私の独断と偏見で一部をまとめたもの。「」内はパワーポイント文そのままです

 

 山田創平さんの話は本当にマイノリティの問題も、事例を交えてかなりわかりやすく説明してくださってありがたい。

 参加型のアート作品が芸術祭などで多くみられる中で、場合によって作品の一部と化す鑑賞者(参加者)の権利問題を考えるべき機運が訪れている。アートとなると、なんか自由みたいなイメージがあるけれども、自由というのは、何も考えずにおもいついたことをやることではなく、何が不自由であるかを熟知した者のみに与えられるものだと思う。

 

 デリヘル嬢の事件をみていると、なんか中学生の男子を思い出した。特定の人物をみんなで晒しあげて、笑っている感じ。その人がその一瞬だけでなく、その先何十年も受けるであろう苦痛があることなど、彼らは想像できないのか。もしくは、同調しないといけない雰囲気があるのか。

 個人的には、アート作品は、マイノリティの人の声を多様な人に届けるきっかけになたり、マイノリティの人を見つけるきかっけになると思っている。そのアートが、逆にマイノリティを晒しあげ、もしくはマイノリティを生み出すという自体は私は許せない。自由なのは、作家でも作品でもない、鑑賞者であるべきではないか?

 

 また、最近話題となった自民党杉田衆議院議員の寄稿。「同性カップルは生産性がない」そこに税金を投入することを疑問視するものだったという。

 ほんとに今のご時世こんなこというのが、国の議員をやってることがおそろしい。。。同性カップルが税金払ってないわけでもないのに、税金を使わないって。。

それって、「うちは火事にならないから、消防に税金使わないで!! 」って言ってるようなもの。自分にとって価値のないものを全部とりやめてしまうって、議員としておかしいでしょう、国民の代表でしょうが、自分の狭い視野だけで国家予算決めないで。

 文化予算も、すぐに切り捨ての対象となる。「美術館にいかないから」「生き死にの問題に関わらないでしょう」って。 でも衣食住足りてても(実際足りてるかは不明だけど)、3万人が自殺してるんだから、もう効率ばっかりで考えてもうまくいかないってわかってほしい。

 

 私は異性愛者であるという点では、マイノリティではないけど、

職業的にであったり、ある視点ではマイノリティに属する。

さらに、今後例えば事故にあったり、年老いたりするなどして、より多くのマイノリティに属する可能性がある。だれしもがそうかと思う。だからみんな助け合おうってことじゃないけど、ある程度そういう想像力をもって、日々過ごしたいと痛感しました。

 

内田樹『疲れすぎて眠れぬ夜のために』(2005)角川文庫

 

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内田樹の本は結構読んでるけど、
その中でも、めずらしくまとまりのない一冊です←
 
斜めの字が引用(カッコ内はそのまま引用、カッコ外は本文参考にして筆者記述)
☆が、私の意見です。
 
p22
「不愉快な人間関係に耐えることはよいことだ」という思い込み
 
p.150
人間というのは、〜(略)〜
ネガティブな条件づけをされているときに、それをどう突破するか創意工夫をこらすことを通じて例外的な
創造性を発揮する
 
 
p160-162
「ある著者の「愛読書」というのは、その人の「新しい話」を読みたくて本を買うわけじゃない。
むしろ「同じ話」を読みたくて買う」
「トピックは違っても、切り口はいつもと同じ」
 

☆悪い意味で、「同じようなものばっかつくる」と思ってたが逆なのかもしれない。
 自分も、特定の作家の本を読みたいって時は、たしかにその作家がいつも書いてるようなことを読めることを期待しているなあと、しみじみ思った。

 

 
p180
 「「品」というのは、要するに、「らしさ」の内側にあえて踏みとどまる節度のこと」
 「自分のありのままをむき出しにするという作法は、その人にどれほどの才能があろうと能力があろうと、
「はしたない」ふるまいです。
 

☆これほんとわかるけど難しい・・・。受け取る相手によっても、「品」の感覚ちがってくるから、
相手をみる力と、その上での振る舞いを常に考えていかねばならないのかも。。。

 

p216
 レヴィ=ストロースによれば、ほんらい親族の基本構造は四項関係」
 子供、両親とその兄弟(子供が女→父の姉妹、男→母の兄弟)
 親の代の水準に自分と同性の大人が二人必要
 
p222-23
 核家族というのは、家の中に「他人」がいない場です」
 全てがプライベート空間
 メンバーの私的空間を尊重するという気遣いの持ちようがない
 
☆家がパブリックという感覚があんまりない。
 といのも、一人暮らしの増加(ワンルーム)やオートロックのマンションの増加で、
 他人がいるという意識が薄らいでると思う。
 たしかに、祖母の大きな家では、昔夏休みや葬式がある時に親戚や近所の人が集まって、大広間や庭がパブリックな空間であった。正直それが、居心地が悪く感じられることも多くあった。
 しかし、当時普段暮らしていた借家の一軒家では、母と2人で暮らしている時期があった。
 その際には、帰宅しても一人でいることが多く、寂しさから、ただテレビをぼーっとみていた時間が多かった気がする。
 一人の寂しさを紛らわすには、とにかく何か夢中で時間を過ごせることを探していたのであった。
 そういう時に、もし誰か他者がいれば、ある程度の視線を気にして、勉強するなどしていたかも(?)
 
 余談
 私は、両親ともに兄弟・姉妹がいたが、転勤族で親戚が多く住む地域から離れたところにずっと住んでいた。
 また、ずっと賃貸ということもあり、長い近所付きあいがなく、そういう誰かが
 家にいるっていうのは、あまりなかった(私が友達少ないのがいけないけどw)。
 あと私は親戚とあまりうまく付き合えないというか、いとことも微妙に世代違ったりで、あっても気まずい…。
 
 
 
 p233
「ほんとうに人を愛していたら、殴れない」
 

 ☆なんか最近、漫画で、「暴力的な性癖があるけどそれも愛」みたいなの多くない!?!?
  なぐってるけど好きだから的なのっておかしくない??

  でも、もしかすると、「好きです!(キラキラ)」っていうよりも、その方が信用できたりするのかな・・!?

  ライオンが子供を崖から突き落とす的な話は聞くけど、私たち人間ですからね。。逃げようよ。

  

 最近思うけど、相手を思うって、自分の感情を拳にのせて← 相手にぶつけるっていうのではなく、

 私の場合だと、自分が読んだ本とかアニメとかで、

 「これあの子好きそうだな」とか、「最近あの人こういう感じだから、これ役に立つかな?」、

 でも、いやだったらどうしよう・・みたいな、なんか自分の身も削る(?)思いだけど、

 基本的に相手に無理なく寄り添いたいっていう思いなのでは?と。

 
 
ー ー ー ー ー ー ー

子供いらないけど、喪主は欲しい

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  イラスト:すずしろさん 

 

どーも!!

 

実は、彼氏と別れる2週間前に、身内の不幸で実家(田舎)に帰省していました。

9月ほんと壮絶すぎたな・・。

 

緩和ケア病棟に入っていた祖母の容体が悪化したと連絡を受け、
ちょうど仕事もそこまで忙しくない時期であったこともあり、実家に帰らせてもらった。

 

祖母は、その日が越せるか?と言われていたが、
2日間強く生き延び、遠方に住む叔母の帰省を待ち、他界した。

 

残された者たちの自己満足かもしれないが、
子供、孫、ひ孫……と大勢に囲まれて、幸せだったのではないかと話していた。

 

しかし、一人いなかったのが、うちの兄だ。

 

兄は数年前、一人暮らし先で借金していることや

謎の宗教?に入っていることがわかり、
一旦うちの家族はちゃくちゃになった。

現在は、一つのメールアドレスがわかるだけで、どこに住んでいるかもわからない。

向こうにも何かいろんな事情があったのだろうが、ここまで周りをめちゃくちゃにしておいて、何も同情できない。

 

しかし、来たのだ。

通夜にも葬式にも。

 

その顔は、あまりに怖すぎた。

受付をしていた私たちにはまともに言葉をかわさず、香典を置いていった。

私たち家族にはまともにあいさつはしないのに、
親戚たちとは話をしていた。意味不明。。。

 

 

 

祖母の産んだ兄弟3人のうち、男は父一人、

そして、うちの兄弟も、男は兄一人。

 

今までやったことなど関係なく、

兄は家族の位置に座る。

 

翌日も、

遺影を持つのは兄

 私は何も持てない。

霊柩車に乗れるのは兄

 母も私も姉も、別の車。

お骨を父の次に骨壷に入れるのは兄

 

なんだか悔しかった。

 

祖母が弱ってからずっと付いていたのは、父や母や叔母だったのだ。

でも、礼儀というか、親族の血のつながりには勝てないのか。

 

血のつながりという強い深い風習に、とても悔しさを感じた。

 

なんで来たんだ。来るんだったらもった早く来いよ。
来ないんだったら完全に存在を消してくれ。
中途半端にでてくるのやめて。
頼むから被害者づらしないで・・。
今でも思い出して悔しい。

 

私だって、うまく親戚と関係構築してる訳でないけどさ。。。

 


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帰省していた時に、強く思ったことがもう一つある。

 

いとこが子供(男の子)を連れてきたいたのだが、
一番はしゃぐ時期で、本当に大変そうだった。

 

そして、一方で、大きく育った男である兄の家族の私たちも大変。

 

働いて子供達を育てて喪主をしている父。

 

子供育てるのは体力も時間もお金も必要。
でも子供を大きくなるまで育てても、自分も思う通りになる訳でもない。

 

 

ああ……子供いらないけど、

立派な喪主はほしい。

 

 

内田樹が、喪主不足が深刻な問題になるって
何か本にかいてたけど(みつけたら書く)、それに強く共感した。

 

子供不足、孤独死
それは、喪主不足。。。。

 

よく、テレビで結婚したい理由を聞かれた人が、

「老後が不安」

っていうけど、これは、
老後寂しく、誰も知らずひっそりと死に、
周辺住民に迷惑がられ、死ぬのが嫌。
という、最後まで人目を気にした理由である事が多い。

 

私もできればそれは避けたい。

というか正直ボケる前に死にたい。

でも、子供を持つ相手もいなければ、正直ほしいとどうしても思えない。

自分のやりたいことをやってるのが今は楽しいし、

自分がアレルギー体質だし変人だしで、まともな子供が生まれ、育つ気がしないからだ。私のような変な子を育てるのも大変そうだし←

 

だから、喪主がほしい。

 

高齢化が日に日に進んでいるようなので、

私がババアになるぐらいには、喪主代行とか、

老人には監視がついてて、何かおきたらシステムが反応して…。

っていう行政サービスとか一般的に広まってると信じることにする。

友達少ないから、葬式とか多分いらないから。

最低限の片付けと死亡届だけよろしく。

お金余ってたら美術団体に寄付して。。。

(喪主ってか後見人か?)

 

私も、いつか働けなくなって、年をとって・・・。

と不安になることがあるが、
死んでまで誰かに迷惑かけないと考えるほど
優しい人間ではない、と思って気持ちを落ち着ける。

 

頑張ってどうにか結婚して
自分が子供産んで立派な喪主にするってのも、
意味不明だし、子供かわいそうだしな。

 

 

もう昔の

喪主がいて、親戚みんなが協力して、

その姿をみた子供が喪主して……

なんてのは、日本の将来にはなくなってくるのかもしれない。

 

私ってワーキングプアだったんだ!(?)

 

 

とある掲示板で、自分の貯金額と収入などを書き込んだ。

 

 

すると、

「ワークングプアだね」

と。

 

 

調べてみると、一般的に、ワーキングプアは、

正社員、もしくは正社員並みに働いているのに、

生活保護の水準に満たない収入しか得られない労働者のようで、

ワーキングプア - Wikipedia

一般的に、年収200万以下といわれている。

 

私も年収を改めて考えてみると、

ギリギリ額面200万円こえてるくらい。

(それとこっそり知り合いの手伝いで数万円のバイト代もらっている)

 

でも、貧困とかワーキングプアって、

もっと生活ギリギリで食べるものにも困るっていう感じだと思っていた。

池上彰氏が、テレビ番組で、「相対的貧困」と「絶対的貧困

が報道や話し合いの際にごちゃまぜになっていると言っていたが、

私もそうだった。

 

たしかに、毎月ギリギリ黒字の生活で、

恥ずかしながら働き始めても当分は親から仕送りをもらっていた。

 

ちなみに

・院卒

・一応正社員

・一人暮らし

奨学金返済中

 

という、まさに現代の問題を集めている状況であった。

でも、今まで自分に対して「貧困」とあまり思ったことがなかったのは、

親が安定した収入があったからだと思う。

食べるものに困るくらいだったり、もし職がなくなっても最悪頼る実家・帰る実家がある。

親が私のような収入であったら、私は都会に進学することも、

就職して一人暮らしすることも絶対不可能だっただろう。

 

だって、学生中に奨学金をもらっていたとはいえ、

私が親から受け取っていた家賃・生活費は、私の今の収入とほぼ同じだからだ。

 

 

私が働いているのは特殊な業界であり、

一般的にあまりお金にならないといわれている。

普通の就活がうまくいかなかった私は、卒業寸前で今の職場の人とであい拾ってもらった。

 

だが、この業界でのキャリアアップというものが見えてこない。

業界の先輩方にお話聞いても、あまり希望がみえてこないのだ。

別にお金を稼ぐ目的ではないけども、

このままギリギリで、年齢だけ重ねていって果たして大丈夫なのか?

男の人に依存するということもできない私が、

どういった道を歩むべきか。

というか、私の努力次第でもっと現職場も利益が上がるはずなので、

私の努力不足ではないか!?なども考える。

 

とにかくがむしゃら?に、目の前のことに取り組みつつ、

将来のキャリアアップに向けて動きたい。

 

 

どうなることやら。。。

 

 

 

『森村泰昌 自画像の美術史「私」と「わたし」が出会うとき』私的感想

 

こんにちは

 

気がつけばまた時間が空いた更新となってました。

 

自分の考えを文字にしてもとめることや、

みたものを思い出し、再考するためにもブログを書こうと思います。

ささっと感想です・・。

 

国立国際で開催している

森村泰昌 自画像の美術史「私」と「わたし」が出会うとき』

をみてきました。

展覧会場は撮影OKとのことで、何個か写真を載せます。

 

森村さんといえば、関西を中心に活動されていますよね。

美術史上で有名な絵画に自ら扮し再現し、それを撮影した写真作品が、

彼の代表的な表現方法として、注目されていますよね。

 

この展覧会は、約1時間ある映像作品も公開しており、

わたしは先にそれをみてから、他作品をみました。

(美術館に行く前に、映像の公開時間のチェックをおすすめします!)

 

 

 

作家と作品の関係性、

 

作家は死ぬけれども作品は生き続ける。

 

生き続ける作品の中の作家は、生き続けるのか・・???

 

森村さんが他の作家になりきったセルフポートレートは、

自分自身のセルフポートレートなのか?

 

自らの手で描いていない作品

自分が素材の一つとなる作品。

 

 

ーー

 

 

自分がなりきる作品の選定の基準がどうなのか、

今考えています。

 

なんだか、

別にいいんですが、

作品をみてる途中から、美術だけど、技術?発表を

みているような感覚にもなりました。

こうなると、ちょっとしたセットの雑な部分とかが

気になってくる・・。

 

 

作品を忠実に再現しているだけでなく、

海外のお金が、森村さんの再現では日本円になっている・・といった

変更点もあるのですが・・。

 

 

森村さんの表現の新たな試み?ももっとあってもいいのではないかと

思いました。

(わたしが気付けてないだけなのか・・。)

 

 【展示風景写真】

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ささっとした感想ですが、

とりあえずアップ!

 

 

小山登美夫の本三昧 感想

 

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『"お金から見る現代アート

表紙からしてもですが、読みやすいようなつくりになってます。一章タイトルが「なぜ村上フィギュアが16億円になったのか」ですからね!

ギャラリーは、アートとお金の流れの一つとして描かれていて、アートとお金に関わる様々な立場の人(アーティスト、ギャラリスト、コレクター)がでてきました。

また、所々で世界と日本のアートにお金を出すことに関する違いにも触れられていて、小山さんならではでおもしろかったです。(日本では、一つの物を代々受け継ぐべきという感覚があるため、アート作品を買ったとしても、次に回っていかない等々・・)

 

現代アートビジネス』

小山さんの生い立ちから、ギャラリー立ち上げ、海外のアートフェアへの進出のこと

アート作品を買うこと、マーケットがつくられることについて描かれています。

 

奈良さんや村上(隆)さんの作品 って、サブカルのイラストのイメージがありますよね。

私も少しそうですが、それがアートなのか?イラストであり商品なのでは?

といった抵抗感が多少あるような気はします。

ですが、キャラクターのようなモチーフだから商業的とかイラストというのではなく、

多くあるうちの表現方法の中から選んだのが、そうしたキャラクター的に見えるものだっただけに過ぎないんだと改めて考えさせられました・・(うまく言葉にならないけれども)。

 

 

『小山登美夫のなにもしないプロデュース術』

他2冊よりも、小山さんの作家の選び方とか、作家の付き合い方が

細かくかいてあった。

 

個人的に、おもしろかったのは、ギャラリーに作品展示する時に、どういうことを意識するかという点が挙げられていたところ。

 

でも、もっとほんっとに細かく、その作家を選んだ理由を、作品のどんなとこからかというのを、細かく語ってほしかった!めっちゃおもしろそう。逆に、どんな作品はダメと思うのかとか、それは何作品くらい見た時に思うのかとか・・。(最初ダメと思ったけど、だんだん良くなっていった作家といかいるのかとかとか)

 

最近キュレーターの南條さんの本を読んでたからか、ギャラリストがキュレーターと違うと思ったのは、展覧会コンセプト先行ではなく、その作品・作家をみせることをより重要視している所だなあと。

 

南條さんは、企画する展覧会が美術史上で、どんな意味をもつのかをとても考えている。小山さんは、作家のある作品が、美術史上でどんな意味をもつのか、オリジナリティを持つのかとても考えてるいるように読み取れた。

 

それぞれ方法は違えど、今までの歴史をよみとった上で挑戦的な試みを行っていっているんだなと、ほんとに尊敬する・・。

 

 

まだまだ視野が狭いので、じっくりじわじわ世界を広げていきたい!!