〜(^^)映画『バケモノの子』感想(^^)〜
こんにちわ
※超ネタバレなので、ご注意を※
バケモノの子
細田監督は、
民族性や、マイノリティ、マジョリティの問題に関心があるのかなあ。
パッと見てわかる国籍の違いだけでなく、
町中でわからないような
例えばLGBTであったり、在日の何世の方など・・。
☆キュータ
主人公である キュータは、
物心ついた後に異国で暮らすことを選択。
師匠となるをみつけ、異国で違う名をもらう。
親としての存在は、違う人種。片親。
↓ ↓
最後には、元の人間界で暮らす(ここで分かるのが、人間界でも片親というとこ)
+
バケモノとの同化
(葵ちゃんと◯◯してる時もみてるのかなあって心配したの私だけですか?)
☆一郎彦
自分は人間だと知らされてはいないが、周りと違うことに違和感をもっていた。
人間であることを、隠さずに2世界行き来して暮らすキュータに苛立つ。
親は、一郎彦が人間であることを言わなかった。
自分なりに、バケモノに劣らない強さを身につけていった。
↓
人間であることがわかっても、
バケモノ界で生きていく(周りの者も受け入れる)
この対比が相当意図的だろ←
てか、まずさー「バケモノ」っていうあまり聞こえ良くないような
言葉をタイトルにしてるのが
どういう意味だ??って気になるよ。
ー_ ー
あと、良いと思ったのが、
親→子 教える
という一歩通行でないところ。
「師匠」「弟子」というのが、
場面・物事によって違っている。
剣の腕や力の強さは、熊鉄の方が師ですが、
相手の動きを読むよいう点では、キュータの方が師。
力づくのケンカではキュータが師ですが、
勉強の面では葵ちゃんが師。
これを見てて
内田樹氏の『先生はえらい』(2005)を思い出しましたね。
自分がその人を師と思い学び取る力も大切。(読み返そうかな)
^_^
見た時に疑問に思った所として、
なんで、一郎彦は、落とされた本の内容の「くじら」になったのか??
ということ。
読んだことのない本だったので、
あらすじ検索をしました(読めよ)
ハーマン・メルヴィル『白鯨』という、
1851年発表という結構前の小説ですね。
映画化されてるらしいです、全然知らなかった()
捕鯨船の船長が、白鯨に片足を食いちぎられ、
悪の対象として白鯨への復讐心で燃える。
船には様々な人種が船員がおり、
船長の復讐心の影響され、白鯨と報復を誓うそうです。
最終的には、鯨も船長も船員もほとんどがなくなってしまうそうです。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%AF%A8/wiki/20150725)
そう!ここでも!多民族ですよ。
オシャレにいうと、サラダボウル←
一郎彦が、鯨となったのは、
周りからそういった標的とされていることの例えなのでしょうか・・?
うーん、、。都会の地面=海底???
_ー_
正直、バケモノ界の人間に芽生える「心の闇」というブラックホールは、
あからさまな表現すぎないだろうかと思いました・・。
(犬夜叉の風穴を思い出しましたよ。。)
- - - た- わ - ご - と -
目覚めた一郎彦がイケメンすぎたよね。
☆.。.:*・゚ ☆.。.:*・゚ ☆.。.:*・゚ ☆.。.:*・゚ ☆.。.:*・゚ ☆.。.:*・゚
なんか、観る前にちょっとボロクソの評価みてたから、どうかなと思ってたけど、
個人的には結構すきかなー。もう少しシンプルでいい気もするけどね(頭おいつかないから)。
一緒に見に行った人と連絡とれないお(^q^)