あーとブログ

主に関東圏の美術展を見に行きます!

知識少ない自分なりに楽しんで見て書きたいと思います

閉館迫る原美術館が、約20年前のソフィカルのあの名作を再現展示。見れるのはあと一ヶ月のみ。

2020年12月をもって閉館することを発表した、原美術館


閉館まで2年を切った現在開催しているのは、

同館で19年前に開催したソフィ・カルの個展『限局性激痛』の再現展です。


ソフィ・カルは、写真と文章を組み合わせた作品で知られる女性アーティスト。
自身の失恋の体験を元に制作された一連の作品は、彼女を知らない人もとっかかりやすい展示となっています。原美術館の常設作品も、家のインテリアのように展示され、合わせて楽しめます。
一息つけるカフェ情報もお届けします♪

 

原美術館で開催中『ソフィ カル ─ 限局性激痛』

・行ってきた所感

・おまけ

・参考資料



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2/2アートと笑いの境界線:ジャルジャルがアートにツッこむ!?

2月2日(土)に開催された

「アートと笑いの境界線」

に参加してきました。


放送作家倉本美津留さん主宰で、お笑い芸人・ジャルジャルや、アーティストたちを交え、アートと「笑いが生まれる場、笑いとアートが交わる場、アートが生まれる場」の3部構成で、アートとお笑いの境界を模索していくことを目的としたイベント。

1部の「ジャルジャル×倉本美津留『超コント』」は、チケット売り切れで残念ながら不参加。残りの2、3部について書こうと思います。

 

「アートと笑いの境界線」

・2部:ジャルジャルが、現代アーティストたちにツッこむ!?
・3部:ベテラン作家と漫画家が、お題にそって生制作!?
・所 感
・参考資料&おまけ

 

アートと笑い

 

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向井山朋子、24日間で24時間を巡る。連日ピアノパフォーマンスで鑑賞者を魅了。

201925日(火)から、銀座メゾンエルメスで始まった

 

『ピアニスト』向井山 朋子展

 

向井山朋子さんは、ピアニストとして国内外で活躍するとともに、
舞台作品やアートインスタレーションに関わるなど、
幅広い活躍をされている方です。

 

私が名前を知ったのも、ピアニストとしてというより、
横浜トリエンナーレに出展されていたことがきっかけとなっています。

この2月、銀座メゾンエルメスフォーラムで向井山さんの展示&ピアノパフォーマンスがあると知り、行ってきました。

 

・この展示について:24日間で、24時間を巡る展示!?

29日(土)のピアノパフォーマンスに行ってきました!

・所感

・参考資料

 

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内藤礼『明るい地上には あなたの姿が見える』 −−謎タイトルの展覧会の内容とは?!

 

見てきました〜

東京駅からだと、バス往復で4000円ほどでした!

だいたい2時間くらいで水戸駅に到着!

東京駅発 − 赤塚・茨大・県庁 − 水戸駅行き / みと号 | 高速バスのご案内 - 茨城交通

 

そこからまたバスに乗ってたしか7、8分で最寄りバス停に到着
(結構大きい通りが芸術館近くまであるので、時間があれば歩くのもアリ)

大きな通りから水戸タワーが目印になって見えてくるかと思いきや、ちょうど大きな建物で隠れて、直前まで見えないんですよね;残念

 

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彼女の凄さを世に知らしめる大きなきっかけとなった
豊島美術館の《母型》

残念ながら、私はまだ見たことないんですね。

 

ただ、大阪の国立国際美術館で、

彼女の小さな作品(『死者のための枕』)を見た時、学生ながらに鳥肌がたって、彼女の名前を覚えることとなりました。

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独立行政法人国立美術館・所蔵作品検索

 

 

 そんなこんなで、水戸芸術館到着。

 

この日はくもり!!
自然光を使った展示と聞いていたので心配だったーー。

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 部屋はこんな感じ!

①〜⑦に分けて感想を。

 

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『モネ それからの100年』展 感想 MONET

 

横浜美術館行ってきました!

 

話題のモネ展

 

横浜美術館の展示をみていると、ちゃんと展示考えてるんだなと

感じて嬉しくなります(誰目線)。

 

タイトルだけみてると、

「よくあるモネの作品数点と、同じ時代の作品が混ぜてあるやつかー」って

思うでしょう?違うんですよね。

 

ただ「あのモネ」っていう知名度だけで攻めてる展示じゃないんです。

 

モネの作品は25点で、

なんと他の作家は26人で66点!

 

しかも、現代アーティストもかなりの割合入っています。

 

このモネ展は、モネに影響を受けた作家、

モネに影響を受けているようにみえる作家を集めて展示しています。

 

しかも、絵画のみでなく、版画やアニメーションなどもあります。

モネという一つの点が共通項にあるだけで、作家の年代・表現形態は関係ないのがおもしろいところ!

 

 

ただモネの作品見に来た人が、

現代アートにはまるきっかけになるかも!

 

モネの特徴を、現代アートの作品と比べることで再認識することも可能です。

 

 

さらに面白かったのが、

「コレクション展」

つまり横浜美術館が持っている(収蔵している)作品での展示。

モネの活躍した時代の日本の作品などが展示してあったんですが、
日本はその頃明治時代。

高橋由一が、海外で使用されていた油絵を日本で使用したように、

海外の美術の影響を大きく受けるようになった時代です。

ほんとに同じ時代でこんなに描くもの違うのかっていう発見がありました。

 

ちょっと後半になると、白髪一雄の作品も。
天井から吊るした縄に捕まって、足で絵を描いたことで有名ですよね。
そのストロークと、モネの筆触なんて比べようと思ったことなかった!笑

 

森村安泰昌さんの11年ぶり公開の4連作品《神とのたわむれ》(1991)は、

原画《キリストの磔刑》(1503)の縦140cmの面積6倍(つまり縦は何倍なんだろ←)

 ってことで、迫力あって、磔刑されてるのが人形におきかえられてるものなどで、

奇妙な空間が目の前に広がって(4面だから)不気味だった……。

 

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ちなみに

筆触分割とは?
昔何かの本で読んだのだけども・・・。

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【感想】上野スタディーズ2018 第1回「芸術実践と人間の権利-アートの現場における〈対話〉と〈合意〉について考える」

暑いけどどうにか行ってきたトークイベント!

面白かったー

 

2018/7/29

上野スタディーズ2018 第1回「芸術実践と人間の権利-アートの現場における〈対話〉と〈合意〉について考える」

 

@黒田記念館1Fセミナー室

 

・第1部レクチャー(講師:山田創平)

・第2部ラウンドテーブル(ゲスト:岡部友彦、和田昌宏、山田創平/モデレーター:住友文彦)

 

 

山田創平さんのレクチャー

 論点として、差別的表現(ヘイトスピーチ等)が行われることで、それを受けた人が精神的苦痛をうけ自殺してしまうなどの犯罪(ヘイトクライム)が挙げられた。有名な事例として、同性愛者であることを理由に21歳の若さで殺害されたマシュー・シェパード、同性愛者が「異常動物」をtwitterでつぶやいた鶴指眞澄川崎市議等がある。

 さらに、関西の京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA(アクア)で、作品の一環でデリヘル嬢を呼ぶという計画が持ち上がったことが物議を醸し出したことは記憶に新しい。詳細にコンセプトがつめられていたわけでも、デリヘル嬢の人権について考えていたわけでもないという。実現には至らなかったもの、アート作品により軽率に一人の人権が侵害される危険性が十分にあった。

 山田さんは「人を殺す表現 – 表現の自由はあるのか? 」という問いをたて、「人命は、表現の自由より大事なのではないか」と意見を述べていた。

 

 でもまず前提として「マイノリティとは誰なのか? 」

 近代日本では、国民国家で資本主義であり、労働者が働き、その利益の多くを資本家が搾取している。妻は家で無賃労働を行い、子供は新たな労働力予備軍という位置づけとなっている。つまり、異性愛により子供が生まれるということが、暗黙の前提となっている。

 現在は、新自由主義が主流となってきており、公的機関の民営化や規制緩和が行われ、政府は市場での自由競争を推し進めている。民間に委ねられる範囲が増えたことにより、今まで経済的に困窮していた人も、お金を儲け、マイノリティから脱却することが機会が得られた。一方で、それは別のマイノリティを生むことになった。

 

※上記は、山田さんの話を私の独断と偏見で一部をまとめたもの。「」内はパワーポイント文そのままです

 

 山田創平さんの話は本当にマイノリティの問題も、事例を交えてかなりわかりやすく説明してくださってありがたい。

 参加型のアート作品が芸術祭などで多くみられる中で、場合によって作品の一部と化す鑑賞者(参加者)の権利問題を考えるべき機運が訪れている。アートとなると、なんか自由みたいなイメージがあるけれども、自由というのは、何も考えずにおもいついたことをやることではなく、何が不自由であるかを熟知した者のみに与えられるものだと思う。

 

 デリヘル嬢の事件をみていると、なんか中学生の男子を思い出した。特定の人物をみんなで晒しあげて、笑っている感じ。その人がその一瞬だけでなく、その先何十年も受けるであろう苦痛があることなど、彼らは想像できないのか。もしくは、同調しないといけない雰囲気があるのか。

 個人的には、アート作品は、マイノリティの人の声を多様な人に届けるきっかけになたり、マイノリティの人を見つけるきかっけになると思っている。そのアートが、逆にマイノリティを晒しあげ、もしくはマイノリティを生み出すという自体は私は許せない。自由なのは、作家でも作品でもない、鑑賞者であるべきではないか?

 

 また、最近話題となった自民党杉田衆議院議員の寄稿。「同性カップルは生産性がない」そこに税金を投入することを疑問視するものだったという。

 ほんとに今のご時世こんなこというのが、国の議員をやってることがおそろしい。。。同性カップルが税金払ってないわけでもないのに、税金を使わないって。。

それって、「うちは火事にならないから、消防に税金使わないで!! 」って言ってるようなもの。自分にとって価値のないものを全部とりやめてしまうって、議員としておかしいでしょう、国民の代表でしょうが、自分の狭い視野だけで国家予算決めないで。

 文化予算も、すぐに切り捨ての対象となる。「美術館にいかないから」「生き死にの問題に関わらないでしょう」って。 でも衣食住足りてても(実際足りてるかは不明だけど)、3万人が自殺してるんだから、もう効率ばっかりで考えてもうまくいかないってわかってほしい。

 

 私は異性愛者であるという点では、マイノリティではないけど、

職業的にであったり、ある視点ではマイノリティに属する。

さらに、今後例えば事故にあったり、年老いたりするなどして、より多くのマイノリティに属する可能性がある。だれしもがそうかと思う。だからみんな助け合おうってことじゃないけど、ある程度そういう想像力をもって、日々過ごしたいと痛感しました。

 

内田樹『疲れすぎて眠れぬ夜のために』(2005)角川文庫

 

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内田樹の本は結構読んでるけど、
その中でも、めずらしくまとまりのない一冊です←
 
斜めの字が引用(カッコ内はそのまま引用、カッコ外は本文参考にして筆者記述)
☆が、私の意見です。
 
p22
「不愉快な人間関係に耐えることはよいことだ」という思い込み
 
p.150
人間というのは、〜(略)〜
ネガティブな条件づけをされているときに、それをどう突破するか創意工夫をこらすことを通じて例外的な
創造性を発揮する
 
 
p160-162
「ある著者の「愛読書」というのは、その人の「新しい話」を読みたくて本を買うわけじゃない。
むしろ「同じ話」を読みたくて買う」
「トピックは違っても、切り口はいつもと同じ」
 

☆悪い意味で、「同じようなものばっかつくる」と思ってたが逆なのかもしれない。
 自分も、特定の作家の本を読みたいって時は、たしかにその作家がいつも書いてるようなことを読めることを期待しているなあと、しみじみ思った。

 

 
p180
 「「品」というのは、要するに、「らしさ」の内側にあえて踏みとどまる節度のこと」
 「自分のありのままをむき出しにするという作法は、その人にどれほどの才能があろうと能力があろうと、
「はしたない」ふるまいです。
 

☆これほんとわかるけど難しい・・・。受け取る相手によっても、「品」の感覚ちがってくるから、
相手をみる力と、その上での振る舞いを常に考えていかねばならないのかも。。。

 

p216
 レヴィ=ストロースによれば、ほんらい親族の基本構造は四項関係」
 子供、両親とその兄弟(子供が女→父の姉妹、男→母の兄弟)
 親の代の水準に自分と同性の大人が二人必要
 
p222-23
 核家族というのは、家の中に「他人」がいない場です」
 全てがプライベート空間
 メンバーの私的空間を尊重するという気遣いの持ちようがない
 
☆家がパブリックという感覚があんまりない。
 といのも、一人暮らしの増加(ワンルーム)やオートロックのマンションの増加で、
 他人がいるという意識が薄らいでると思う。
 たしかに、祖母の大きな家では、昔夏休みや葬式がある時に親戚や近所の人が集まって、大広間や庭がパブリックな空間であった。正直それが、居心地が悪く感じられることも多くあった。
 しかし、当時普段暮らしていた借家の一軒家では、母と2人で暮らしている時期があった。
 その際には、帰宅しても一人でいることが多く、寂しさから、ただテレビをぼーっとみていた時間が多かった気がする。
 一人の寂しさを紛らわすには、とにかく何か夢中で時間を過ごせることを探していたのであった。
 そういう時に、もし誰か他者がいれば、ある程度の視線を気にして、勉強するなどしていたかも(?)
 
 余談
 私は、両親ともに兄弟・姉妹がいたが、転勤族で親戚が多く住む地域から離れたところにずっと住んでいた。
 また、ずっと賃貸ということもあり、長い近所付きあいがなく、そういう誰かが
 家にいるっていうのは、あまりなかった(私が友達少ないのがいけないけどw)。
 あと私は親戚とあまりうまく付き合えないというか、いとことも微妙に世代違ったりで、あっても気まずい…。
 
 
 
 p233
「ほんとうに人を愛していたら、殴れない」
 

 ☆なんか最近、漫画で、「暴力的な性癖があるけどそれも愛」みたいなの多くない!?!?
  なぐってるけど好きだから的なのっておかしくない??

  でも、もしかすると、「好きです!(キラキラ)」っていうよりも、その方が信用できたりするのかな・・!?

  ライオンが子供を崖から突き落とす的な話は聞くけど、私たち人間ですからね。。逃げようよ。

  

 最近思うけど、相手を思うって、自分の感情を拳にのせて← 相手にぶつけるっていうのではなく、

 私の場合だと、自分が読んだ本とかアニメとかで、

 「これあの子好きそうだな」とか、「最近あの人こういう感じだから、これ役に立つかな?」、

 でも、いやだったらどうしよう・・みたいな、なんか自分の身も削る(?)思いだけど、

 基本的に相手に無理なく寄り添いたいっていう思いなのでは?と。

 
 
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