あーとブログ

主に関東圏の美術展を見に行きます!

知識少ない自分なりに楽しんで見て書きたいと思います

歴史的戯曲『ゴドーを待ちながら』昭和・平成ver。名作を現代の解釈で。

 

サミュエル・ベケットが1952年に書いた
戯曲『ゴドーを待ちながら

 

フランス語でこの戯曲(劇のための台本)が出版された後に、
世界各国で上演されています。

恥ずかしながら、私はざっくりとした内容しか知らず、
日本語訳ものすら読んだことがありませんでした。
しかし、名作ということで、
「いつか舞台で見たいな」と思っていたところ、
神奈川芸術劇場でその機会に恵まれました!

舞台内は撮影禁止で一回しか観劇していないということもあり、
少しおぼろげな記憶ですが、感想を書きたいと思います。

 

ゴドーを待ちながら神奈川芸術劇場

①『ゴドーを待ちながら』とは?
神奈川芸術劇場の『ゴドーを待ちながら(昭和・平成ver.)』の概要は?
神奈川芸術劇場の『ゴドーを待ちながら(昭和・平成ver.)』の流れは?
④全体の自分の所感
⑤参考資料

 

ゴドーを待ちながら

 

①『ゴドーを待ちながら』とは?
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ゴドーを待ちながら』は、「二幕からなる悲喜劇」であす。大まかな内容としては、以下です。

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一本の木がある、とある場所

エストラゴンとウラジミールという二人の男が、ゴドーという人物を待ち続けている。本当に来るかわからないゴドーを待ちながら、無為な会話を繰り返す。

②そこに、ポゾーと彼の従者・ラッキーが現れる。
ラッキーの首にはロープがかけられ、ポゾーはラッキーを市場に売りに行く途中という。ラッキーは、ポゾーの指令に基本的に従うが、「考えろ!」と命令されると、哲学的な長いセリフを話始める。

③ポゾーとラッキーが去ると、少年がやってくる。
「今日は来られないが、明日は必ず」とゴドーからだという伝言を二人に伝える。

④翌日、同じ時間、同じ場所、
同じように二人は、ゴドーを待っている。
昨日と同じく、ポゾーとラッキーが来るが、ポゾーは目が見えなくなっている。
二人が去ったあと、再び少年がやってくる。

 ※公式パンフレットを参考(番号は便宜上筆者がつけた)

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結局、ゴドーは来ないんです。

ただ「待つ」という行為の戯曲なんです。

この内容が、さまざまな解釈がなされ、各国で舞台化されています。

 

 

神奈川芸術劇場の『ゴドーを待ちながら(昭和・平成ver.)』概要は?

今回、多田淳之介さんという若手の演出家の方が演出を担当されています。

おもしろいのは、
「昭和・平成ver.」
「令和ver.」

の二種類が、同じ会期中に同時上演されることです。
概要は以下です。

 

演目:『ゴドーを待ちながら
会場:KAAT 神奈川芸術劇場(大スタジオ)
上演期間:2019年06月12日(水)~2019年06月23日(日)
上演時間:2時間10分
チケット:5,000円(2バージョンセット9,000円)全席自由
 ※「昭和・平成ver.」「令和ver.」ともに 8公演ずつ計16公演 メインキャストが異なる
作:サミュエル・ベケット
翻訳:岡室美奈子
演出:多田淳之介
 公式WEBサイトより

 

神奈川芸術劇場の『ゴドーを待ちながら(昭和・平成ver.)』の流れは?

金銭的な都合で、私は「昭和・平成ver.」のみ鑑賞してきました!
※うろ覚え鑑賞の個人の記録です

まず、舞台配置が特殊でした。観客は好きな場所に座ることができます。
(そのせいで、ちょっとセリフ聞きづらい箇所も^^;)

ゴドーを待ちながら 昭和・平成ver.

円形の広場のようなところに、一本の木。
そしてハチ公(ミラーボールの加工)、自販機、電灯などがあり、
あちこちにゴミや靴下?などが落ちています。
意図的なのか、向こう側のお客さんの顔も結構よく見えます。

 

①2人の登場
ホームレス風の風貌のエストラゴン、ウラジミールが登場。
エストラゴン→ちょっととぼけた感じ
ウラジミール→おちゃめな感じ

仲良さげな二人の会話は、
通じてるようで通じないような、もどかしさがあります。
ですが、エストラゴンが「帰る」というと、
ウラジミールが一貫して「ゴドーを待つ」と言い張ります。

 

②ポゾーとラッキーが登場
ポゾーは軍服?のような服装で、長いロープを引っ張っていて、
その先につながれているラッキーは、燕尾(えんび)服のような正装で、両手に荷物を抱え登場。
ポゾーが命令すると、ラッキーが荷物を言われた通り持ってきますが、
基本的にラッキーは無口で立ったまま。
エストラゴンとウラジミールは、この状況に疑問を投げかけるなどしながら、
ポゾーと会話します。

途中で、ポゾーが「考えろ!」と言うと、
舞台が薄暗くなり、上から日本・アメリカの国旗のついたマイクが垂れ下がってきます。
それを手にしたラッキーは、意味不明な言葉を叫び続けます。

 

③ゴドーの使いの少年が登場
二人が去ったと、白いスーツ姿の
少年(木村風太くんかわいい……)が現れ、
ゴドーは、今日は来ないと伝えました。

 

④舞台転換、次の場面に
この日の場面が終わると、
舞台が真っ暗になり、
イエロー・マジック・オーケストラの ♪Rydeen が大音量で流れるなか、
ミラーボールの素材のハチ公が、スポットを浴びながら回っていました。

舞台が明るくなると、舞台上にルーズソックスや、サッカーの中田のユニフォーム(たぶん)、ジュリアナのピンク色の扇子、MD(orフロッピー)が、
散乱していました。
さらに、舞台上の木には新芽が出てきていました。

ウラジミールは、舞台周りを見て、
死骸?が散乱していると言っていました。
客席の辺りに死人(戦争死者?)を
連想しているということでしょうか?

ウラジミールは、昨日のことを覚えていて、
エストラゴンにそのことを話しますが、うろ覚えのような反応。

またポゾーとラッキーがやって来ます。
ポゾーがサングラスをかけ、目が見えなくなっている様子。
ラッキーは、今度は上に作業服を着ていました。

ウラジミールは、ポゾーに
「昨日も会ったよな?」「目が見えなくなったのか?」
と問いますが、ポゾーの答えはぱっとしないものばかり。

 

そこで、ポゾーは
「それが昨日である必要はあるのか?」
といったことを答えます。
この辺りからクライマックス感がでてきて、私は鳥肌がたってきました。

ポゾーとラッキーが去った後、
またゴドーの使いの少年がやってきます(服の色が違う)。

そしてまた、
「ゴドーは今日は来ないが、明日は来る」とのことを伝えます。
ウラジミールが少年に、
「お前は昨日も来たよな?」と聞くと、
「僕、分かりません」
の一点張り。
会話する中で、ゴドーは今日来ないこと、白いひげであるという事だけは分かりました。
しかし、

結局ゴドーとは誰なのか?
どういう人物なのか?
やって来るのか?
昨日は昨日だったのか?

悩むウラジミールと、
度々寝て起きて記憶が曖昧なエストラゴン。

ウラジミールが、エストラゴンに問いかけをして、
悩みながらも希望を見出していく場面で、舞台は幕を閉じます。

 

④全体の自分の所感

最初、「やっぱり戯曲って難しいな……」と思っていました。
全員の会話が、噛み合っているようで噛み合っていない。

ですが、少しずつ舞台が進んでいくなかでその不安定なもどかしさ、

一筋縄でいかない不条理さこそが、この舞台の魅力であると気づきました。

 

その上で、YMOの音楽や、そこらじゅうにばらまかれた懐かしい品々は、
昭和や平成初期を連想させました。
ポゾーとラッキーの関係性は、服装から見てみても、
アメリカと日本という関係を表していたと思います。

 

クライマックスで、二日目(なのかどうかも分からないけど)もゴドーが来なくて、
もしかしたら今自分がいる状況も夢なのでは?
昨日は昨日なのか?
ゴドーが来なかったら首を吊るか?
など、いろんなことが不安で幕が閉じそうになったときの

ウラジミールのセリフ

(もし明日ゴドーが来たら)「俺たちは、救われる」

が、ぐさっと心に刺さりました。

絶望だけではない、希望をもつこと。
存在するか分からないゴドーという存在を、
信じ続けることにこそ希望が見出されるのではないか?と感じました。

 

これは、令和バージョンも見たかったなあ……。

でも、昭和・平成バージョンだけでも、
名作の舞台を見れたことは、本当によかったなと思いました。

機会があれば、日本語訳の戯曲自体を読んでみたいなー(でも難しそう)。

 

 

 

 

・参考資料

神奈川芸術劇場公式WEBサイト
ゴドーを待ちながら』ページ
https://www.kaat.jp/d/Godot
(2019/6/23閲覧)

ゴドーを待ちながら神奈川芸術劇場
配布パンフレット